幸福とは、他人を介さずに喜びを得ること。マツコと永瀬の幸福論

こんにちは! 永瀬なみです😊
このブログでは、生きづらい人生から抜け出した自身の経験を生かして『がんばらない、ラクな生き方』を発信しています✨
今日のテーマは「本当の幸せ」です。
以前、私の大好きなテレビ番組『マツコ会議』でマツコさんが独自の幸福論を語っていました。
その内容にすごく共感して
😤
と思っていたので、今日はその内容を紹介します。
「まだまだ幸せには程遠い」
「自分の幸せが何なのか分からない…」
そんな風に感じている人は、ぜひ読んでみてください。
もくじ
超・共感したマツコの「幸福論」
この回のゲストは、ちゃんみなという女性シンガー(ラッパー)でした。
私はこの回を見るまで彼女の名前も曲も聞いたことがなかったのですが、その後に見た『東京男子図鑑』というドラマの主題歌に採用されていた曲を聴いて、彼女を褒めていたマツコさんの気持ちを少しだけ理解できたような気がしました。

『ハヤブサ消防団』というドラマの主題歌も彼女の曲だったね
そんなゲストからマツコさんに聞いてみたかったこととして、理想の幸せのカタチが挙げられました。
人によって“幸せのカタチ”ってあるなってすごく感じていて。
マツコさんが思う“幸せ”ってどんなものなのか、気になりました。
日本テレビ系『マツコ会議』より
その質問に対するマツコさんの持論が、こちらです。
他者を介在させずに喜びを得ること
この意見を聞いた私は「首がもげてしまうのではないか」と思うほど、それはそれは深く共感し、うなずきまくりました。
せっかくなので、その時の言葉(マツコさんが語ったこと)をそのまま残します。
全文を知りたい方は、ぜひじっくり読んでみてください。

少し長いけど、読めばきっと心に染みるよ!
例えば、結婚、出産、お金、美。
「これをしてるか・してないか」「これがあるか・ないか」っていう、分かりやすいものってあるじゃん。
「それを手にしたかどうか」っていうのが「幸せかどうか」の判断になっているって、違うよねって思いながらも、それしかねぇんだよなって思うの。
要は万人が共通認識できることって、それしかないじゃん。
だからそれをインスタで見せたりして表層的な「いいね」をもらい、「アタシは幸せだ」と思えてるのって悲しいよねって思う半面、分かりやすいよねって思うの。
それくらい自分が幸福かどうかっていうのは実は他者に委ねているところがすごく大きい気がしてて。
でもアタシは他者っていうものを介在させない自分であることが幸せにつながると思っていて。
アタシができているかどうかは分かんないけど。
現にこうやってテレビの前の皆さんに支えられて生きているわけだから、そんな偉そうなことを言う資格は私にはないんだけど。
でも究極、幸福って何だって言われたら、他者を介在させずに喜びを得ること。
もちろん人間は生まれてきたら他者と関わらざるを得ない生物で、他者を救うことによって救われる生物だし、他者との関係性を切ることなんて絶対できないんだけど。
それはありがとう。でも、自分はコレ。
他人に絶対介入させないで、他人と絶対比較しないでっていうものを持ってることが「幸福」な気がしています。
日本テレビ系『マツコ会議』より
要は自分の心を満たせるかどうか
「幸せって何だろう?」
「どうすれば幸せになれるんだろう?」
そう考えた時、真っ先に浮かぶのはどんなものですか?
以前の私は、いろんな条件を思い浮かべていました。
「もっとお金があったらなぁ」
「もっとスタイルが良かったらなぁ」
「もっと上手に人付き合いできたらなぁ」
ですが今は「そういった条件をそろえなくても人は幸せになれる」と心から信じています。
なぜなら、自分の幸福度は自分でコントロールできるからです。
自分の心が満たされさえすれば、人は幸せになれます。
そして自分の心を満たされた状態にできるかどうかは、心の持ちよう次第です。
※そう思うようになったきっかけはこちら👇
>> 幸せになれる人と、なれない人。明暗を分ける「唯一の違い」とは
現に私は毎日とても幸せな気持ちで暮らしていますが、先ほど挙げた3つの条件は満たせないままです。
もちろん当時とは環境も働き方も息子の年齢も変わっていますので、そういった変化も少なからず関係しているのだと思います。
ただ、もし私があの頃のまま幸せになれるのを待っていたら、もし今でもそういう考え方をしていたら、私は今でも幸福度が低い状態のままだったかもしれません。
自分の幸せに「他人」は関係ない
先ほど紹介したこちらの記事👇では、ある女性を見て受けた衝撃についてお伝えしています。
>> 幸せになれる人と、なれない人。明暗を分ける「唯一の違い」とは
私の幸せに対する価値観は、この日を境に変わりました。
貧乏=不幸なの?
「幸せそうに見えるかどうか」とは
関係ないのかも?
そんな風に考えれば考えるほど、自分の持つ「○○は○○」という感覚(当たり前だと思っているもの)がどれだけ偏っているかを思い知ったのです。
そして私は今、忙しいながらも確かな幸せを感じています。
もし私の生活について誰かから何かを思われたり言われたりしたとしても、私が幸せであることに変わりはありません。
なぜなら、私が幸せかどうかを決めるのは他人ではないから。
家族も同じです。
たとえ家族だとしても、私とは違う人。
だから家族にどう思われても、私が幸せであるかどうかには関係ありません。
私が幸せであるかどうかに関係あるのは、“私の心”のみ。
あとは全部、関係ありません。
何を持っていて、何を持っていないのか。
どんな人と、どんな風に付き合っているのか。
そんなことは、どうでもいいことです。
大切なのは、今の自分が満たされた気持ちでいられるかどうか。
そして、その満たされた気持ちを誰にも依存せずに抱いていられるかどうか。
自分が幸せであるかどうかを測る基準は、その2つだけです。
誰かが何かをしてくれなくても、誰かといても、いなくても、常に心が満たされている状態。
それこそが本当の幸せなのだと、私は思います。
その「幸せ」って「本物の幸せ」?
マツコさんが言っていたように「他者を介在させずに喜びを得ること」が本物の幸せなのだとしたら「誰かを介在させることでしか得られない喜び」は本物の幸せではないということになります。
この考え方には、私も同感です。
もし仮に「誰かから褒められたり、うらやましがられたりする日々」を「そんな人になれること」を幸せだと信じ、目指しているとしたら…
それを実現しても、本当に幸せな状態にはなれないかもしれません。
なぜなら、その幸福感は褒めてくれる人やうらやましがってくれる人がいて初めて成り立つものだからです。
SNSの「いいね」をたくさんもらえたり「かわいいね」「すごいね」と褒めてもらえたりすれば、誰でもうれしい気持ちになります。
ただ、それがある時は幸せで、ない時は幸せでなくなるとすれば、それは本物の幸せとは呼べないのではないでしょうか。
他人を介さず、他人と比較せず。
マツコさんが言っていたように、本当の意味で幸せな人生を送っていくためには、この意識が不可欠だと思います。
世間や誰かに「幸せそうだね」と認めてもらえなくても、自分で自分を幸せだと思えれば、それでいい。
誰かから見た“幸せそうな人”ではなく、自分で「私は幸せだ」と思える状態を目指す。
自分を幸せにするためには、そんな意識が必要なのではないでしょうか。

むしろ他人と比べさえしなければ「私って意外と幸せなのかも」なんて思えたりしてね
今の自分を「まだまだ幸せには程遠い」と思っている人は、一度そう感じる理由を考えてみるといいと思います。
理由を掘り下げていくと、意外な思い込みや先入観が見つかるかもしれませんよ。
最終更新日 2025/06/11
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